こんにちは!
百人一首楽しんでいますか?
百人一首で遊ぶうちに、いろんな歌人の名前を目にすることがありますよね!
百人一首にはたくさんの女性の歌人がいますが、
中でも有名な女性歌人の一人に「清少納言」がいます。
今回は「源氏物語」の作者である紫式部のライバルとしても有名な、清少納言について見ていきましょう!
ぜひ最後までご覧ください!
- 清少納言がどんな人か知りたい方
- 清少納言の百人一首の歌の意味が知りたい方
- 清少納言の代表作を知りたい方
百人一首に出てくる清少納言ってどんな人?和歌の意味や代表作は?
清少納言ってどんな人?
清少納言は966年頃に歌人である清原 元輔の元に生まれました。
そして祖父も同じく歌人である清原深養父で、幼い頃より和歌や漢字の教育を受け育てられました。
一条天皇の妻である藤原定子に、女房として仕えていました。
女房は、使用人やお手伝いさんみたいな人の事だよ♪
清少納言とは本名ではなく、宮中で仕えていた時の通称のようなもので
本名は「清原諾子」であったと言われています。
清原の「清」と少納言(親族の役職)で、
清少納言って言うんだね♪
かの有名な「源氏物語」の作者である紫式部のライバルとして有名ですね!
実際には歳の差もあり、
宮中に仕えた時期は違うみたいだけど、
比較されたり意識していたのは間違いなさそうだね!
清少納言の歌の意味は?
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢阪の 関はゆるさじ
清少納言
現代語訳
夜であることを隠して 鳥の鳴きまねを図ろうとしても 断じて逢坂の関は通ることを許しませんよ
清少納言と親しい間柄であった藤原行成との間で交わされたやり取りだと言われています。
夜遅くまで話し込んでいた藤原行成が「昨晩は鶏が鳴いたので早く帰りました」と手紙をくれたのに対し、
中国の故事をふまえ「函谷関のように騙されて開けたりはしません」と一蹴しています。
高い教養とユーモアを感じさせる清少納言らしい和歌ですね!
清少納言の代表作は?
枕草子
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。
(略)
「枕草子」原文
教科書でも良く取り扱われている「枕草子」が清少納言の代表する作品です!
徒然草・方丈記に並ぶ日本三大随筆のひとつと言われていて、最も古い随筆集です!
随筆・・・って何?
随筆っていうのは、
自分の体験や感じたことを、自由に書いた文章だよ!
枕草子では、作者の清少納言が自身の中宮定子のところで働いていた時の宮廷生活を中心に、
自然や人生、人間関係などについての体験や考えを思うまま自由に書いています。
清少納言集
他に「清少納言集」という和歌を清少納言の集めた歌集がありますが、
他人が編集したと言われており、清少納言の作品と言って良いのか定かではありません。
まとめ
- 一条天皇の妻である藤原定子に女房として仕えていた
- 幼い頃から和歌や漢字の教養を身につけた才女
- 百人一首の歌「夜をこめて…(略) 」は高い教養を感じさせる彼女らしい歌
- 最も古い随筆集のひとつである「枕草子」の作者
清少納言は、幼い頃からの教育により高い教養を持っており、
その教養を一条天皇の妻である藤原定子に気に入られたり、和歌や逸話が現在に残されています。
清少納言の考え方は、独自のセンスや見方を感じさせ現代で見ても楽しむことができます。
いかがでしたか?清少納言の事を知ることができたでしょうか?
清少納言の作品「枕草子」を読めば、より清少納言について知ることができます。
ぜひ読んでみて下さい!
以上、「 百人一首に出てくる清少納言ってどんな人?和歌の意味や代表作は? 」でした!
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